ぜんそく征服ジャーナル

135号
日本のぜんそく研究の流れ(3)  (昭和30年頃まで)            


■PATERNITY社会のぜんそく
国、社会、家庭がほどほどに貧しく、大人はしっかり働かなければならず(個体維持)、家族も気をそろえて大家族で生活し、向う三軒両隣が仲良く生活し地域共同体を維持していた時代にはぜんそくは、「発作で苦しいことはあっても死ぬことはない病気」と言われ、大した病気ではなく、研究する学者もほとんどいない状態でした。

わが国はその頃、結核が非常に多く、結核のために国が滅びるとまで言われ、赤痢、疫痢、腸チフス、ポリオ、日本脳炎、肺炎など命にかかわる伝染病も多く、消化不良症、陽炎、肺炎などで乳幼児が死亡することも多い時代でした。

ぜんそくの研究など本格的にする学者はいないといってよい時代だったのです。少なくとも大学でぜんそくの研究をする医者はほとんどいませんでした。

自律神経とぜんそく
第二次大戦が終わるより前、ヘス、エッピンガーがぜんそくは自律神経の異常による病気だと自律神経説が注目されました。日本では滝野増市先生が、器官副交感神経緊張説を主張されました。呼吸器の自律神経が副交感神経緊張状態になると、ぜんそくになり、皮膚がこの状態になると湿疹になるという考え方です。ぜんそくと湿疹の症状が交替して現われたり、湿疹が消えたあと、ぜんそくになることが多く、自律神経説は一番有力な考え方でした。

滝野増市先生は大学をやめられて体質医学研究所をつくられアストレメジンというぜんそくの治療薬を開発、日本臓器という製薬会社で製造されました。

ポリグラフと私
私がぜんそくのアレルギーについて研究をはじめたのは昭和35年のことです。そして同時に名大医学部内に自律神経研究会をつくり、生理学教室でぜんそく発作のポリグラフを調べました。ぜんそく研究の大先輩である滝野先生が早速見学にこられました。日本では、はじめての実験だったからです。

経部交感神経節切除術
自律神経の異常がぜんそくの原因と考えられていた時代、重症で難治なぜんそくの治療として行なわれた「手術療法」です。

昭和20〜30年頃のことです。

手術をはじめた頃には効果がみとめられましたが、次第に手術しても効果がなくなってきました。その原因についていろいろ検討されました。

手術をはじめた頃は、手術が下手だったので、切り傷も大きく、出血だとか、組織の傷も多い状態で傷口を縫い合わせるので、その影響で体質が変わったのであろう。手術が上手で手早くなり、手術の傷も、出血も少なくなると体質を変える刺激も少なくなり、効果がなくなったのであろうという外科の講義をする教授がいたのは昭和23年頃です。

結局、このぜんそくの手術療法も昭和30年頃には次第に行なわれなくなってしまいました。

高度成長時代に入って
昭和30年頃から日本は高度成長期に入りました。経済的に豊かになり、衛生状態もよくなり、急速に恐ろしい伝染病も少なくなったりなくなってきました。

この頃から医学も急速に各分野ですすんできました。今までのように内科とか小児料ですべての病気を診る時代ではなくなり、呼吸器、消化器、循環器、脳神経などそれぞれ専門に分かれて研究しなければレベルの高い治療はできない時代になってきたのです。

それと同時に、ぜんそくも、今迄より数が多くなり、医学が進歩してきたにもかかわらず、治すことができないことも認識されはじめました。

いままで研究する必要もないと思われていた病気が、「医学がすすんだのに治せない」ということで、次第に「難病だ」と考えられるようになってきたのです。

アメリカやヨーロッパでは大正、昭和のはじめからアレルギーの研究、治療がすすみましたが、日本では行なわれていませんでした。

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