ぜんそく征服ジャーナル

136号

日本のぜんそく研究の流れ(4)  (昭和30年頃までのアレルギー事情)   



■欧米のぜんそく治療
アレルギーの現象が発見されたのは1906年、明治の終わり頃です。欧米ではすでに昭和のはじめ頃、つまり今より60年以上も前からアレルギーの検査、そして減感作療法も行なわれていました。

減感作療法は非常に歴史の長い治療法なのです。

重症難治性ぜんそくの研究も60年以上も昔からはじめられていました。

ペスキンという人は重症で難治性のぜんそく児は、親から離して入院させると、ぜんそく発作が消えることを発見し、その研究と治療を充実し、1920年頃、コロラド州、デンバーにCARIH(Child Asthma Research Institute and Hospital)という、重症ぜんそく児の長期入院療法のための病院をつくりました。この病院のポイントはホームシステム制度の病院であるということです。

20軒以上の家庭のような家をつくり、それぞれの家に「親代り」になってくれるボランティアの夫婦が住み7〜8名の重症ぜんそくの子が入院します。

合計すると200名前後の重症ぜんそくの子供たちが入院することになります。

子供たちは、不安の多い家庭生活から離れ、たのしい家庭的な入院生活を送り、発作がおこった時だけCARIH内にある診療所で治療を受けたり、入院して、よくなればまた自分のホームにもどるというシステムの病院です。

平均1年6ヶ月の入院で80パーセント近くの子に効果がありました。

ヨーロッパやアメリカではすでに昭和30年頃までの30ないし40年のあいだに、ぜんそくの研究は相当すすんでいたのです。

■仮性アレルゲン説の時代
日本では昭和30年頃まで、アレルギーの研究も、ぜんそくの治療もほとんど進んでいませんでした。
ヨーロッパやアメリカでぜんそくのアレルギーの研究がはじまった昭和のはじめの頃、日本のある大学の教授が「日本人のぜんそくはアレルギー性のぜんそくではない」という学説を主張しました。

日本人のぜんそくはアレルギーが原因ではない。日本人は竹の子、ナス、里芋などをよくたべる。その食品の中にはヒスタミン様の物質が多くふくまれており、そのヒスタミン種物質のためにぜんそく発作がおこるのである。したがって、竹の子、ナス、里芋を、ぜんそく患者は食べてはいけない。これらの食品はアレルゲン(抗原)になるわけではないので仮性アレルゲンと考えるべきだというのが主張の骨子でした。

なにしろ、日本でも有名な大学の有力な教授の考え方です。

日本中の医者はこの考え方を信じ込んでしまいました。

いまでも、「ぜんそくになったら竹の子、ナス、里芋を食べてはいけない」と信じている人たちがいることでしょう。

その頃の医学文献を調べてみると、この考え方に同調した文献を見付けることができます。

ある外国の学者は「日本人はベッドではなくて、フトンで寝ており、朝おきるとフトンを押入れにしまってしまう。そのため、ほこりが部屋にとびちるチャンスが少なく、これが日本人がホコリアレルギーのぜんそくにならない原因であろう」という主旨の論文を書いています。

日本の医学会には、たとえその学説が間違っていても、医学会の権威者の主張する学説ですと、だれも異論をとなえないという、非学問的といえる風習があります。

そのため日本では、欧米でアレルギーの研究や治療が盛んになった昭和のはじめから昭和30年頃まで、里芋、ナス、竹の子などヒスタミン様物質を含んだ食品が、ぜんそくの原因になるという「仮性アレルゲン説」が広く日本の国で信じられる時代が続きました。

日本ではこのような事情で、誤った学説が何十年も信じられるということが時々はあるものです。

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