ぜんそく征服ジャーナル

144号

【症例】Sさんの喘息     



心因も関与している喘息ではその心因を発見して解決することが必要です。心理的な治療が理想的に行われれば、ステロイドでも押さえきれないような重症な発作でも、驚くほど簡単に治ってしまいます。
心理的な治療もなかなか効果があがらないことはあります。そのような時でもなぜ効果があがらないかという、その原因については大体見当がつくものなのですが、時には、今回のSさんのように、医者も途方に暮れるようなケースもあります。Sさんは十年ほど前にクリニックにおいでになった患者さんです。相当に珍しいケースですからじっくりとお読みください。

結婚〜出産で発症
Sさんは36歳の主婦、ご主人と二人の子供さんとの四人家族です。Sさんの喘息は結婚二年目(28才)の妊娠中に始まりました。
症状はまず鼻水から始まりました。これは喘息の前触れの鼻炎で、花粉症のようなアレルギーによる鼻炎ではなく、春、秋の起床後から午前中にかけて鼻がぐずぐずするが、午後になればおさまってしまうという、自律神経失調症型の鼻炎でした。
Sさんが初めて喘息の発作を起こしたのは、29才の秋、第一子出産後の事でした。そして二人目の子供が生まれてから更に悪化しました。
発作は通年性で、日中も夜も起こります。動く事もできない程の発作が月に一回は起こり、救急受診も珍しくなく、薬は手放せず、発症してからクリニックにおいでになるまでの約七年の間に計四回の入院歴があり、ステロイドの使用歴もありました。
発作は、一日が終わってくつろぐころから始まることが多く、寝る前からの発作が長引くと夜中も眠れないこともありますが、一旦眠ってしまえば翌朝までは大体眠れます。日中は呼吸困難を感じることは少ないのですが、大きく息を吐くと常に軽くゼーといっています。吸う息が苦しく、痰は卵白を泡立てたような痰で、熱が出ることはありません。天候との関連は少なく行事との関わりもありません。ただし、週末や祝日、年末年始等は崩れやすく、四回の入院のうち三回までは正月で残りの一回はお盆でした。

心因性と診断して
病歴からも心因の関与は明らかです。
結婚〜妊娠〜出産という「生活の変化」で発症し、第二子の出産で悪化、通年性で日中のほうが夜間よりも悪く、吸う息が苦しく、休みに悪くなりやすいとなれば、読者の方でも心因の関与が強いことは容易にお分かりになると思います。初診時の検査でもアレルギーは一切認められず、体のバランスの乱れによる発作もわずかしか認められません。心因が七〜八割関与した喘息と診断しました。

カウンセリングを開始して
初診時にここまではっきり心因性と診断できれば、あとはそれほど難しくはありません。発症〜悪化のきっかけになっている「生活の変化」が、本人にとっては何らかの形で後向きのストレスになっていると考えればよいのですから、そこを掘り下げていけばよいのです。
さっそくカウンセリングを開始しました。当時の私は大人の心因性喘息のカウンセリングのコツがつかめてきたころでした。カウンセリングにより劇的に改善する患者さんを大勢経験して、学会発表も積極的に行っていたころでしたので、Sさんに対しても、少なからずの意気込みを持って臨みました。
ところが話はそれほどうまくはいかなかったのです。

心因が見つからない
結婚〜出産にからんで発症〜悪化しているのですから、結婚してからSさんはイキイキできなくなっていると考えるのが妥当です。夫への不満、夫の身内への不満や気兼ねがあるかもしれません。主婦業が重荷なのかもしれませんし、育児不安が強いのかもしれません。ひょっとしたら幼い性格で、独身時代の自由気ままな生活に未練があり、結婚生活そのものに拘束感を持っているのかもしれません。難治化した女性の喘息では、ほとんどの場合「身内がらみ」の心因が大きく関わっていることは経験的にわかっていましたから、Sさんの場合はどんなパターンなのか、多少わくわくしながらカウンセリングを開始しました。しかし、なかなか心因の全体像がつかめないのです。
Sさんはやや物静かで控えめな印象の女性でした。会話の様子も落ちついており、理性的な筋道を立てた考え方もできる方でした。幼さを感じさせるような素振りもなく、育ちのいい奥さんという印象でした。ご主人も明るい快活な方で、神経質そうなタイプではありません。家庭は円満で、ご主人は子煩悩、Sさんも子供好きで育児も楽しめている様子です。ご主人の実家のほうにも取り立てて問題になるような事はありませんでした。
初診後半年を経過してもSさんの喘息の原因になっている心因を明確にすることはできませんでした。

治療はまったく手詰まりに
対症療法と鍛錬、呼吸調整や排痰法を指導することにより、Sさんの症状は多少は軽くなりましたが、それでも月に一〜二回は相当にひどい発作で来院されます。
心因が発見できても解決が困難な例は珍しくありません。心因の「解決」が困難なために喘息もよくならない例はしばしば経験します。しかし、ここまで心因の「発見」が困難な例は滅多にあるものではありません。何か見落としている問題はないのだろうか?と悩み、あらゆる可能性を探ってみました。結婚〜出産にからんで悪化しているのですから、その前後に何らかの身内がらみの心因があるはずなのです。そこまでは見当がついて、その心因の発見に全力を傾けているつもりなのに、突破口が見つからないのです。「心はスカッと五月晴れですか?」「はい、特に……」「それなら発作はないはずなんだけど……」などというやりとりの堂々巡りです。
ご主人に知られたくない秘密でもあって意識的に隠しているのではないかなどなど、時間の許すかぎりカウンセリングを続けました。夜中に点滴にみえた時に、点滴をしながら深夜のカウンセリングをしたこともあります。院内の検討会でもいろいろ検討しましたが、結局解決の糸口すらつかめませんでした。
夜中に発作で来院され二階で処置をしている時などには、ご主人もSさんも「先生申し訳ありません」とおっしゃられます。その言葉を聞くと逆に自分の無力さが情けなく、「申し訳ないのはこちらのほうです。」と言いたくなるほどの、医者の方が途方に暮れるような状況になってしまったのです。そして、クリニックを受診してから二年が経過したころ、Sさんは神戸へ転居して行かれました。クリニックの治療はたいした効果も上げないうちに中断してしまったのです。

四年後の再会
Sさんのことはほとんど忘れてしまっていたある日、外来診察中に次の患者さんのカルテを見るとSさんのカルテでした。はっとして顔をあげると診察室のソファにSさんが腰掛けてみえます。日付を見ると四年ぶりの来院です。
カルテを見れば昔の記憶は鮮やかに蘇ります。カルテを見てから診察を始めるまでの数秒の間に、四年前の悩んだ気持ちと転居の話を聞いたときの敗北感・無力感も鮮やかに蘇りました。やや暗い気持ちで診察が始まりました。
ところがSさんの話はまったく予想もしない内容でした。もう二年以上完全に発作はなく、すこぶる健康な生活を送っている。ご主人が風邪薬がわりに喘散を服用して、よく効く薬だと言っている。残っていた分もなくなったので出してもらえないか。たまたま所用があって名古屋に来たのでクリニックに立ち寄った、と言われるのです。
とにかく意外でした。なぜだろう?神戸近郊にはSさんほどの心因の関与の強い喘息を治せるドクターはいないはずだ。自分の勉強不足か?情報不足か?ひょっとしたらケナコルトでも使われているのではなかろうか?
さまざまな思いが脳裏を駆けめぐり、Sさんへの返事もしどろもどろです。落ちつきを取り戻してから、四年間の経過について質問しました。
転居後もしばらくの間は名古屋にいたころと大差はなく、近所の総合病院を受診して対症療法を続けていた。しかし二年半ほど前から快方に向かい、二年前からは病院にも行っていないとのことでした。
話を聞いた限りでは、本当に経過は良いようです。
思いもよらない話でしたが、Sさんと話しているうちに、猛烈な職業意識がわき上がってきました。なぜ急によくなったのだろう?なにか理由が分かれば、そこからSさんの喘息の原因も分かるかもしれません。
そのためには再度Sさんとカウンセリングをする必要があります。お急ぎでなければ、時間を戴けないかと率直にSさんにお願いしました。幸いなことにSさんは快く了承して下さいました。

四年ぶりのカウンセリング
二年半ほど前から快方に向かったということは、そのころに何らかのなんらかの生活の変化があった可能性があります。まず第一にその点について尋ねました。Sさんは「特になにもありませんが……」と言われますが、どんな些細なことでもいいから思い出してもらえないかとお願いしました。するとSさんはぽつりと言われました。「そういえば、父が亡くなりました」と。
これはなんとなくおかしな話です。自分の父親が亡くなることは、Sさんにとってはそれほど重要なことではないような口調なのです。何か変だな、という勘が働きます。
この、なんか変だな、というポイントを掘り下げていくと、核心の心因に到達することは珍しくありません。そこで改めてSさんの生い立ちについて詳しくお聞きしました。

Sさんの生い立ち
Sさんは昭和二十四年に三人兄弟の末っ子として生まれました。七才上の長男と二才上の次男との三人兄弟です。
父親は建設関係の会社に勤めていました。戦争で出征し、終戦後幸いなことに家族の元に帰ってきましたが、傷痍軍人だったようです。帰国後の父親は人が変わったように賭け事とかお酒を好むようになり、生活は母親が支えていました。Sさんが学校に上がるころに父親は失踪してしまい、母親と兄弟三人の生活が始まりました。
母親は相当に芯のしっかりした人で、残された家族は皆仲が良く、助け合いながら生活していました。長男は中学を出て社会人となり、母親と長男の収入で次男とSさんは学校に通いました。次男は大学まで出て大手企業に就職し、Sさんも短大を出てから就職して、26才で結婚されました。
Sさんから見れば、母親や長男は相当に苦労して、次男や自分のために頑張ってくれていると映りました。それなのにお父さんは……という気持ちがいつもSさんの胸にはあったようです。二人の兄はある程度割り切っていたかのようですが、Sさんの胸中には、常に父親に対しての強い不満と憤りの気持ちがあったのです。
それでも母親はSさんが父親のことを悪く言うことを許しませんでした。お父さんがいないから、お母さんも長男も苦労させられているんだと言うSさんに対して、母親は「お父さんのことを決して恨んではいけないよ、お父さんにも事情があるのだから」と常に言い聞かせていたとのことでした。
母親の老後は長男一家と同居して、不自由のない幸せなものでしたが、Sさんが働きはじめて数年後に母親は亡くなられました。その時にも遺言のように「父親を恨んではいけないよ」と言い残されていかれたのです。
Sさんの結婚式では、長男夫妻が両親の代わりをつとめました。新郎は明るい快活な人物で、Sさんの二人の兄とも本当の兄弟のような付き合いが始まり、Sさんの結婚生活は誰もが羨むような幸せなものだったのです。

父親との再会
ところが、結婚後しばらくしてから、長年消息不明だった父親が突然現れたのです。父親も根は善良な人で、家を出てしまってからも後に残した家族のことを忘れることはなく、多少の消息はつかんでいたようなのです。失踪後はそれなりに生活し、新しい奥さんもいるが子供はいない、老後の心配もないが、老い先も短くなり、Sさんたちの顔が見たくなったというのです。
Sさんは猛烈な葛藤を感じました。なにを今更という気持ちもありますし、長年の不満や憤りもあります。ののしり倒して追い返したいという気持ちもあったにちがいありません。
しかしここで、母親の「父親を恨んではいけないよ」という言葉がSさんに強力なブレーキをかけたのです。
ここで父親に冷たく対応すれば、それは母親を悲しませることになるとSさんは感じてしまいました。すでに亡くなられていても、その母親を悲しませるようなことはSさんには絶対にできません。その結果、胸の中は嵐のようにであるにもかかわらず、夫に対しても「自分は父親を強く嫌っているのではない」と取られるような態度をとってしまったのです。
Sさんがそのような態度であれば、もともと明るく快活なSさんのご主人は、義理の父親としてSさんの父親を歓迎します。
父親は図々しく押しかけてくるような人ではありませんでしたが、恨み言を言われ、冷たくあしらわれても仕方がないと思っていた娘夫婦から、思いもかけずに歓迎されれば、頻繁にお訪れるようになるのは人情です。
そうこうしているうちにSさんはおめでたです。Sさんのご主人と父親との会話は初孫の話題で持ちきりとなりました。そして第一子出産後Sさんの喘息は発症したのです。

ブレーキが強すぎて
その後の経過はすでにお話した通りです。
二人目の子供が生まれて、幸せな状態になればなるほど、自分は許してもらえた、そして歓迎されていると勘違いしている父親との付き合いは深まります。
Sさんは表面的にはこだわりはないように振る舞っていますが、心の一番の奥底には猛烈な怒りが潜んでいます。そしてその怒りは、母親の言葉によって封印されています。
父親に怒りを感じること自体、Sさんにとっては母親に対しての許しがたい親不孝のように感じられてしまったのです。そして、その葛藤が強ければ強いほど、Sさんの無意識は、さらに強くその葛藤を押さえ込もうとしました。
喘息が発症してからクリニックを受診するまでの七年間にわたり、Sさんは自分自身の葛藤に対して協力にブレーキを掛け続け、その結果、本人ですらまったく気付けないほど強力に、無意識の奥底へ押し込めてしまったのです。そして、この抑圧された無意識の葛藤がSさんの喘息の最大の原因だったのですが、クリニックでのカウンセリングでもそのブレーキをはずすことはできなかったのです。

ついにすべて解決
ここまでの事情がわかれば、父親が亡くなられてからSさんの喘息が軽快した理由も見当がつきます。私はSさんに改めて尋ねました。「お父さんが亡くなられた時、どんな気分でしたか?」と。
Sさんはしばらく考え込んでいましたが、次のように話して下さいました。
「父が亡くなった時は確かに悲しい気持ちもありました。そして心をつくして供養はしましたが、今思えばそれも母に見てもらいたくてしていたような感じです。葬儀の時、兄たちは父のことを悪く言いましたが、私はそんなこと言ってはいけないとたしなめた記憶があります。それもいま思うと、その悪口を母が聞いていたら大変だからという気持ちからだったようです。
今日、先生とお話して初めて気づいたのですが、確かに父が亡くなった時に胸がスーッとして、つかえがとれたような爽やかな気分がありました。悲しい気持ちよりも爽やかな気持ちのほうがはるかに強かったようです。それだから葬儀も積極的に手伝えたのかも知れません。
でも、父が亡くなったことを喜んでいては、母に対して申し訳ないという気持ちもあったのかもしれません。確かに父が亡くなってからは気持ちも晴々としていますが、そのことにはまったく気づいていませんでした。今日、先生とお話して初めて気がつきました……。」
こう言ってSさんは少し涙ぐまれました。
四年ぶりのカウンセリングには二時間近くの時間を費やしました。それでも、カウンセリングが終わった時には私もSさんと同じぐらいスッキリとした気分でした。


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