ぜんそく征服ジャーナル

163号

あんな症例こんな症例/ 愛情飢餓型重症難治性喘息



Mちゃんは4才の女の子です。1才の秋から喘息になり、年に数回の大発作が出現し、2
才になってからは年間50日以上入院するという、典型的な重症難治型の喘息でした。

はじめて久徳クリニックを受診したのは2才10ヶ月のときでした。大発作が多く入退院をくり返していたころでした。

初診時の印象は、こう言っては失礼ですが、意地悪そうな甘えた感じの女の子でした。目つきもけわしく、すぐやんちゃを言って診察室でひっくりかえって泣きわめき、お母さんに抱かれたがります。検査の採血などはもう大変、診察室までひびきわたるような大声を張り上げていました。

初診時の病歴調査から、情緒面の不安定さの強い心因性喘息であることはすぐにわかりました。発作は通年性で、夕方から寝入りばなに悪化し、一度悪化すると5〜6ヶ月ダラダラ続く。発作がダラダラしているうちに発熱して、より悪化することはあっても、発熱と発作が同時にはじまることはないというタイプでした。

この年令で心理的に悪化する場合は、愛情飢餓型か、分離不安定型が多いものなのですが、結論を先にいってしまえば、Mちゃんは愛情餓鬼型でした。

Mちゃんのお母さんは、どちらかというと社交的なタイプでまだちょっと娘さん気分が抜けきらない感じの人で、自分なりの意見もしっかり表現することができますが、思い通りに事が運ばないとイライラしやすいタイプの人でした。

結婚後も数年は仕事を続けるつもりでいたため、赤ちゃんを生むことは考えていませんでした。しかし、結婚して1年目に、予定外に妊娠してしまったのです。そのときお母さんは、「あ−しまった」と思われたそうです。中絶してしまうわけにもいかず、夫の意見もあり会社をやめてMちゃんを産んだ訳ですが、はじめての予定外の妊娠への不安、「体にさわるから」と外出等が制限されることに対する不満などで、妊娠中はウツウツとして暮らしたということでした。

なおかつ悪いことに、Mちゃんが生まれてから、お母さんは再び外に出て働きはじめ、気がついたときには、Mちゃんの養育の中心は、同居していた父方の祖母になってしまっていたのです。

このような状況の中でMちゃんは愛情飢餓状態になってしまったのです。

喘息発症後も、薬による対症療法のみで、親子関係の重要さについての指導がまったくなされていなかったため、Mちゃんの喘息は改善せず、お母さんもどうしてよいかわからずイライラが多くなり、自分の言うことをきかないMちゃんを叱ってばかりでした。予定外の妊娠、生まれてからの養育の中心者が祖母であったことなどが影響し、お母さんの中に、Mちゃんに対しての愛情が育っていなかったのです。

あるとき、お母さんは、「いけないことだとは思いますが、私はこの子があまりかわいくないのです。この子が生まれたことによって好きな仕事が中断されたし、育児に手がかかるので。」と言われたのです。

こういうケースでは、まず子供のことをかわいく思えるようになることが治療の第一歩になります。しかしそれは、簡単なことではありません。

そこで、その時は、お母さんに次のような事を実行してもらうようにお願いしました。

毎晩Mちゃんの寝顔を30分以上ながめながら、「何てかわいいんだろう、この子は私の宝物だ。」としっかり自分に言いきかせるようにしてもらったのです。

これが意外に効果的でした。

2週間ほどして、外来でMちゃんに会ったとき、顔つきがすごく柔和になっていました。診察室でも1人でイスにすわってシャツをもちあげます。目つきもイキイキとしていて、なんと注射のときも自らすすんで腕まくりをして腕を出すのです。

甘えるよりも、頑張ってほめられる事を好む、たくましい3才児になっていました。

「いい子になっちゃいましたネ」とお母さんの顔を見ると、お母さんも本当に晴ればれとした顔つきです。

「先生に言われたようにしてみたら、本当にこの子がかわいくなってきました。思いきって仕事もやめて、祖母にあずけることもやめ、毎日一緒に楽しく遊んでいます。」とお母さんは言われました。

お母さんがMちゃんに接する態度を改めた時期と、ほほ時を同じくして、Mちゃんのひどい発作はぴたりと止まってしまったのです。

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