本書の出版にあたってはページ数が多くなりすぎたために本文を数十ページ分ほど削除しています。削除分をここに一部収録しました。
第二章の「高等教育もガラパゴス化している」と「特別会計と天下り」は部分的な削除を行う前の元原稿を収録しています。
第三章の「事例3」は本書では全文削除したものをここでお読みいただこうと考えて収録しました。

第二章「高等教育もガラパゴス化している」
 わが国の教育の最大の問題は、「これからの子供たちに必要な知的教育と人間教育についての具体的・現実的な検討」と「子供たちが社会人となるまでに必要なトレーニングの量と質についての検討と実践」が欠落しているところにある。知的教育は「人生に関係の無い点取りゲーム」になってしまっているし、世の中の筋とけじめをしっかり教えるという人間教育は放棄されてしまっている。「人材育成が国家の命運を握る」「子供をたくましく育て上げることが国家の基幹産業である」という哲学が教育行政に全く欠けてしまっているのだ。
 平成十八年の日本青少年研究所の意識調査では「日本の高校生の意欲の低さ」が強まっていると報告されている。日本・韓国・中国・米国の高校生計7300人を対象とした調査であるが、「友人関係がうまくいくことを希望」する生徒は米国66.7%、中国52.8%、韓国44.3%、日本39.8%。「成績がよくなることを希望」する生徒は、中国75.8%、米国74.3%、韓国73.8%、日本39.8%であり、「食べていける収入でのんびり暮らしたい」と応えた割合は日本の生徒がトップだったようだ(060302中日)。
 最高学府といわれる大学の事情も相当に深刻である。少子化を迎えて定員割れが相次ぐ私立大学は生き残りに汲々とし、国立大学は平成十六年の法人化以降補助金が年々削られている。国立大学の運営交付金は毎年1%ずつ削減され六年間で総額七二〇億円が減額されているという。
 「退職教職員の補充もできず、費用がかからない研究を老朽化した設備で行っている」国立大学は珍しくなくなった。四〇年以上前の旧式の電子顕微鏡をいまだに使っているとか、使い古したカーペットをマウスパッドに使用するなど「国立の最高学府」とはとてもいえない状況になってしまっているのだ(090608朝日)。全国私立大学教授会連合の調査によれば、私立大学の理工学部系教授の年間個人研究費は平均69万円、学会出張費15万円、文化系では41万円と16万円ということである。(071224中日)。
 もともと日本の教育費に占める公的負担の割合は先進国中でも最低レベルである。そしてこの状態は国の政策として遂行されているのだ。
 国連は一九六六年に「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(国際人権規約A規約)」を採択している。この規約の13条では「全ての初等教育の無償化、中等・高等教育の斬新的無償化、適当な奨学金制度の設立、教育職員の物質的条件の不断の改善」を規定している。我が国は一九七九年にこの規約に加わってはいるものの13条については締結を保留している。規約締結国一六〇ヵ国の中で13条を保留している国は日本とマダガスカルだけである。そして二〇〇一年に国連は二〇〇六年六月末までに保留を撤回するように勧告したが、日本国政府はこれに回答していないのだ(二〇〇六年問題)。
 OECDの「図表で見る教育2010」によれば、日本の教育予算の対GDP比は3.3%(OECD平均は4.8 %)で加盟31か国中最下位であった。そして教育費に占める私的負担の割合は33.3%で加盟国平均の17.4%を大きく上回っている。特に就学前教育と大学などの高等教育でその比率は高く、それぞれ56.2%(OECD平均は20.3%)と67.5%(OECD平均は30.9%)であった(100908朝日)。高等教育になるほど家計の負担が多くなるのが我が国の教育制度の特徴である(ただし「図表で見る教育2010」の調査年度は平成十七年なのでその後実現した高校授業料無料化などの影響は反映されていない)。
 それに対して、欧米では授業料・教科書代・給食費など含めて全て無料という制度は珍しくない。OECD加盟国中、高校の授業料は二六ヵ国で無償であり、大学は一四ヵ国が無償である。有償の国でも大学の授業料は総じて低額である。たとえばドイツでは1学期あたり500ユーロ(約8万円)、イギリス(イングランド地方)では最高年間3000ポンド(約36万円))である。米国は(大学間の差が大きいが)かなり高額のようだ。
 前述のフィンランドでは義務教育は九年間で、その間の費用は授業料、給食、教材、検診、交通費全て無料である。大学授業料も無料でありさらに月額500ユーロの返済不要の生活援助が漏れなく支給される41)。2005年度の教育予算はGDP比5.9%(同年の日本は3.4%、OECD平均は5.0%)と我が国よりもはるかに高くなっている。ただし北欧の高福祉国では所得税が40〜60%、付加価値税が20%以上という高負担であることは珍しくない。そして「将来の不安が無いから貯蓄が要らない」というよりは「可処分所得が少ないから貯蓄できない」のが現実という事情もあるようだ(100726朝日)。
 その代わり欧米の大学では勉強に対してすこぶる厳しい姿勢を求められる。レポートをインターネットでコピペなどして提出しようものなら「盗作」とされて退学もありうるし中退率も決して低くはない。「勉強する気が無いのなら退場してください」ということなのだ。
 OECDの「図表で見る教育07」によれば、2005年の日本の学部・修士課程レベルの大学の進学率は41%、卒業率は36%で入学した生徒の88%までが卒業していることになる。同年の海外の大学の進学率(%)/卒業率(%)/卒業比率(%)は、オーストラリア82/59/72、ニュージーランド79/51/65、スウェーデン76/38/50、フィンランド73/47/64、米国64/34/53、英国51/39/76、オーストリア37/20/54、ドイツ36/20/56であった。日本の大学進学率はそれほど高くないが卒業率はトップクラスである。
 しかしこの学歴は就職にはあまり役立っていないようだ。欧米13カ国の社会学者の調査によると、よい職業に就くために学歴が役立つか否かという「学歴効果」では、日本は調査した13カ国中12位(1位はドイツ)であった。「どこで学んだかにこだわり何を学んだかを問わない」日本の教育の国際競争力は低く、多くの国から学生を採用しているのに日本は素通りする外国企業が増えているのが現実である。そして博士号をとっても就職できない卒業生は理系で15000人、文系で26000人に達している(090118朝日)。
 文部省の「学校基本調査(速報値)」によると、平成二二年卒の全大学生の就職率は前年比7.6ポイント減の60.8%で二年連続で下落しているが、実は平成二二年春の大卒求人倍率は1.62で求人が就職希望者数を上回っていたのである(100708毎日)。これは筆者にとっても意外な数字であった。
 後述するように派遣労働が一般製造業まで解禁になった結果、正規社員は昭和六〇年の83.6%から平成十年76.4%、平成十九年66.5%と減少の一途をたどっている。労働分配率の低下が著しい大企業ほど、正規社員が減少し求人も減少するのは当然であるが、この求人の減少だけが近年の就職難の原因かというとそうでもなさそうなのである。
 企業の国際競争力が問われるようになったリーマンショック以降、海外事業を展開する大手企業ほど「即戦力」を求めるようになっているのだ。これらの企業では国際ビジネスに打って出るような「気力・知力・体力」を備え、最低でも日常会話程度の英会話がこなせる程度の人材を求めており、「どれだけ優秀でも英会話ができなければ採用しない」と言い切る企業も出てきているのだ。我が国の大学新卒者の相当数は不幸なことにこのレベルに達していないのである。
 そして大量一括採用の時代とのもう一つの大きな違いは、「国内の学生が採用基準に達しなければ海外の学生を採用して社員を確保する」という動きになってきていることである。
 日本人新卒者の採用を減らして外国人の採用枠を増やしている大手企業はいまや珍しくない。家電メーカーのソニーでは国内の新卒採用に占める外国人の割合を平成二二年度の4%から、平成二五年度には30%まで増やす予定であり(110120日経)、パナソニックは平成二四年度の新規採用約千五百人の八割近くを海外での現地採用にするようだ(120129朝日)。
 早稲田大学大学院の北九州キャンパスの大規模集積回路の研究室では、平成二二年の春から三四人の学生の全てが中国人留学生になった。研究室は活気づいており、昨年度の国際論文は五本、国際学会での発表は四四件に達している。指導教授は「彼らは向上心が強く、英語も得意。日本人の学生とは全然違う」と言い切る。そして就職も引く手あまたで日本の一流メーカーに次々と採用されていくそうだ(100512読売)。
 中国人大卒者を中国の現地法人ではなく本社採用する大手企業も増えてきている(101121朝日)。中国の大卒者向けの会社説明会に出向いた日本企業の人事担当者は「金鉱を掘り当てた気分。正直、ショックです」「負けず嫌いで競争意識の強い(探し求めていた)タイプが大勢いる」「学生の大半は海外へ一度も行ったことがないのに英語を流暢に話す。日本語などは内定後に学ばせれば十分」「余りにも優秀。中国人の採用枠が増えればその分日本人の枠が少なくなる」と語っている。
 今後は日本の大企業の中では「日本人社員が中国人の上司に日本語で叱り飛ばされる」ということが日常的に起きてくるのかもしれない。
 平成二一年度のPISAの結果では中国(上海)と韓国の躍進が著しかった。中国は国レベルでの正式な参加ではなく上海市が自主的に参加しているから成績優秀であるのは当然かもしれない。それでも人材育成教育に関してはかなり水をあけられた感がある。これらの海外の学生諸君と互角に渡り合い、世界に飛躍する人材を生み出す教育が今の大学に求められていると筆者は考えているが、文部科学省にはその意識は乏しいようだ。
 ここから先は筆者の予断に満ちた見解であるが、文部科学省は大学の大多数を、教育研究機関ではなく「天下り先」として存続させたいと考えているのかもしれない。
 少子化により受験者数が減少することが明らかであるにもかかわらず、設置基準の緩和により過去二〇年で四年制大学は一・五倍の七七八校に増え、文部科学省から過去5年間に天下った幹部職員一六二人のうち、3分の1を超える五七人が私学(学校法人)に再就職している(090828産経)。そして補助金が年々削られている国立大学では、業績評価を数値化してランク付けし補助金の額に反映させるという方針が打ち出されているようだ(100325朝日)。
 天下りと補助金がセットになっているのは斯界の常識であるから、補助金のために天下りを受け入れる国立大学が出てくることは自明の理であろう。国立大学法人化以降全国の八七国立大学の内の六〇校に計六五人の文部省官僚が天下っている(071009中日)。平成十九年七月に報道された山形大学の学長選挙の混乱も補助金がらみのようだ。投票で二位だった前文部省事務次官が学長に選出されたために事態が紛糾したというものだが、この前事務次官を単独推薦した医学部は「重粒子線癌治療装置」導入の予算獲得を期待していたのでは?などとインターネットでも議論されていた。
 官僚が大学を天下り先としか考えていないなら、国際人権規約を批准する必要もないし、予算を増額して研究レベルを高める必要性もないということになる。その意識の反映の結果か日本の大学の国際競争力は近年ガタ落ちである。
 英国の教育専門誌Times Higher Educationによる平成二一年度の主要大学世界ランキングでは、世界一〇〇位以内に日本の大学は六校入っていた。東京大学二二位、京都大学二五位、大阪大学四三位、東京工業大学五五位、名古屋大学九二位、東北大学九七位という結果であり、私学では慶応大学一四二位、早稲田大学一四八位であった(100815日経)。しかし平成二三年度に一〇〇位以内にランキングされた大学は東大(三〇位)と京大(五二位)の二校のみで、阪大・東工大・東北大学は一〇〇位以下、名大は二〇〇位以下、慶応・早稲田は三〇〇位以下という結果であった。
 だから今の大学生は気の毒であるともいえる。決して安くは無い授業料を納めて真面目に授業に出たとしても、その成果は自身の就職活動にも人生設計にもそれほど役に立たないからだ。「行っても無駄」な大学が増えてきているのである。その上に求職が大企業志向になれば就職は更に難しくなる。現実問題として日本の大学の「学歴効果」は低下の一途なのだ。この点においてはかつての経団連の危惧が現実化してきたといえるだろう。
 EU圏の国立大学医学部には外国人の留学枠を持つところがある。そこへ留学した場合、六年かけて日本円で総額約千八百万円程度の費用(円高の現在ならもっと安い?)で現地の医師の資格を取ることができる。もちろん勉強の厳しさは半端ではないが、費用総額には授業料だけではなく住居費・光熱費も含まれているという。
 日本国内で地方から東京の私立大学に進んで、大学院までの六年間をアルバイトをせずに勉学に専念できるだけの仕送りをしてもらったとすると、六年間の費用総額に大差はないだろう。しかしそれで果たしてどれほどの「世界対応の実力」が備わるかと考えた場合、日本の大学のコストパフォーマンスは決して高いとはいえない。これは国際的な先進国の高等教育への理念と照らし合わせても特異な方向へ進化したといわざるを得ないだろう。日本は高等教育もガラパゴス化しているのだ。

第二章「特別会計と天下り」
 そして、棄民政策の本質を「国家全体の経済活動による利益の国民への再分配の減少」「庶民から富裕層への資産(財産)の移動」と考えた場合、明らかに問題となるのはやはり特別会計と天下りであろう。特別会計については松浦武志氏の著書「特別会計への道案内」47)に詳しい。松浦氏は特別会計について次のように述べている。
 「国の会計は『一般会計』と『特別会計』に分けられる。平成二〇年度では一般会計約83兆円のうち約49兆円が特別会計に繰り入れられている。数字を整理すると一般会計の純支出は32.9兆円となる。これに対して特別会計の歳出純計は180.4兆円。特別会計は一般会計の純支出の約5.5倍に達しており、特別会計こそが予算の本体である。特別会計という別サイフは財務省の監視の及ばない各省庁の聖域で、予算の締め付けが厳しくなっても天下り先に気前よく出資金や運営費を出すことができる」。
 つまり平成二〇年度の我が国の歳出総額は一般会計と特別会計の純支出を合算した二一三兆円でありこれが国家予算総額ということになる。そしてその内の一八〇兆円が特別会計であり官僚の省益と天下り(高額給与での終身雇用制)を支える「オイシイ別サイフ」になっているのだ。一般会計からも約六割が特別会計に回されているのである。
 平成十五年二月に当時の塩川正十郎財務相が「母屋(一般会計)でおかゆをすすっているときに、離れ(特別会計)ですき焼きを食べている」と批判したのはまさに至言であった。
 天下りについてはマスコミなどでも頻繁に取り上げられているので、本書で詳しく解説することもないが、典型的なパターンだけはおさらいしておこう。
 典型的なパターンは各省庁が傘下に独立行政法人や公益法人を作り、更にその傘下に特定関連会社、関連会社、関連公益法人などの「子会社」を作って職員を天下りさせ、そこへ国からの補助金を予算措置とか随時契約などで移動させて人件費に充てるというものである。そしてこの天下りシステムの主な対象者は「キャリア官僚」とも呼ばれる国家公務員T種試験の合格者であり、国家公務員全体の約4%を占めている。
 民主党の事業仕分けでも取り上げられた独立行政法人・都市再生機構(UR)では、傘下に十六社の特定関連会社、十二社の関連会社、九社の関連公益法人があり、平成二〇年度末でURから「子会社」への天下りは役員一二一人、職員一九六人、政府からの天下り十人、「わたり」六人であった。
 URと関連会社間の独占的で割高な随時契約は、平成二〇年度で計七二五億円、関連会社全体の余剰金は四〇七億円に達し、国交省OBが指定席の理事長は年収二〇九〇万円。常勤役員も全員が国交省OBであり、事業仕分けの担当者からは「まさしく天下り天国だ」とのため息が漏れたそうだ(091116、100427朝日)。
 天下り先へ支払われる補助金や業務費の財源には、特別会計の収益や税金だけではなく、郵便貯金・簡易保険・年金などの「国民からの預かり金」もつぎ込まれているのだから、ここでも「国民から富裕層への資産の移動」が行われていることになる。そしてこれらの天下り構造は、空港整備、港湾整備、原子力発電、ダム建設、高速道路建設、宝くじ、地上波デジタルなど「国が積極的に喧伝し推進している事業」のほとんどに組み込まれているのが現実である。たとえば空港整備では前述のように国が管理する空港の八割以上は赤字であるが、ターミナルビルの運営などを請け負う国指定の三八事業者の利益余剰金は総額二三〇〇億円に達し、計二〇八人の常勤役員のうち五八人が国交省などから天下るという仕組みになっている(091107朝日)。
 天下りに対する批判は官僚出身者からも出てきている。
 国土交通省が天下り先法人「国際建築技術協会(国建協)」に発注した調査報告書が、コピペだらけのテキトーな内容で、三冊で一億円というとんでもない話があった。この事件について旧自治省出身の片山善博慶応大学教授(当時)は「国建協は可愛い方。普通はもっと壮大な仕掛けを作って天下りOBの人件費を生み出します。霞ヶ関は膨大な無用の仕事を作り出し、役人の天下り先に税金をつぎ込む」と言い切っている(080310毎日)。
 元通産官僚でみんなの党の江田憲司衆議院議員は、「私が若い時には純粋に政策を練ると、幹部から圧力がかかった。『それを遂行したいなら財団を作って専務理事の椅子を置き、国の補助金を付けろ』と。組織を守った人、天下り先を設けた人だけ偉くなる。行革なんかやったらアウトだったね。自民党は許認可権の差配次第で企業から献金が入るからそのシステムを放置した」と述べている(080918毎日)。
 そして菅政権のあとを継いだ野田政権は「余計なことは言わない、派手なことをしない、突出しない」を三原則として野党と官僚を敵に回すことは絶対に避ける方針のようだ(110926毎日)。鳩山政権下で事業仕分けに華々しく切り込んだ蓮舫行政刷新相も、事業仕分けについては「各省庁自ら事業が効率的かを検討してもらい無駄があればチェックする」と語り(110909朝日)、事業仕分けは事実上の終焉を迎えたようだ。そして平成二三年末に野田政権は群馬県の八ツ場ダムの建設再開を決定している。
 これで平成二一年の衆院選における民主党のマニフェストは総崩れである。これも野田政権の官僚へのラブコールの一つだろう。平成二一年の衆院選で「決めたことをやるのがマニフェストなんです。ルールなんです」「皆さんの税金に天下り法人がぶら下がっている。シロアリがたかっているんです。天下りを無くするところから始めなければ消費税を引き上げるのはおかしい」と熱くぶちあげた野田幹事長代行はどこへ行ってしまったのだろうか。
 我が国は制度上は議員内閣制民主主義国家であるが、現実には「世界一成功した社会主義」と揶揄されるような形に舵取りされているのだ。社会主義の基本は官僚統制と中央集権であるから、この傾向のある社会情勢下では「国家にとって都合の悪い話」は国民には知らせられなくなりやすい。
 これらの「国家の内情」を国民に正しく知らせることが政治評論家とマスコミの責務であるが、この責務も適切に果たされているとはいい難い恐れもある。
 小渕内閣の官房長官であった野中広務元自民党幹事長は、毎日新聞のインタビューに答えて、「98年7月〜99年10月までの官房長官在任中に、『官房機密費』を毎月5000〜7000万円使い、国会での野党工作の他複数の政治評論家にも配った」と明らかにした。そして「政治評論家への挨拶なども前任の官房長官からノートで引き継いだ。一人だけ返してきたのが田原総一朗さん。『もうちょっと(金額の)ランクを上げてくれ』という人もいた。『家を建てたから3000万円祝いをくれ』と小渕総理に言ってきた人もいた」と話している(100521毎日)。
 前項で述べた特別会計の件にしても財務省は決して秘密にしている訳ではない。平成二二年八月の財務省「日本の財政関係資料」によれば、同年の一般会計は92.3兆円、特別会計への繰り入れ53兆円、特別会計純計額は176.4兆円、国全体の歳出は215.1兆円と公表されており、ネット検索で容易に閲覧できるのだ。しかしマスコミがこの情報を取り上げて分かりやすく解説するという動きは中々出てこないようだ。
 国境なき記者団の「世界報道自由度ランキング」では、わが国の報道の自由度は、平成二一年度は17位であったが、それでも過去においては平成十五年44位、平成十八年51位と決して良好とは言えない時期もあった。この時期は小泉政権が棄民政策を推し進めた時期と一致しているように見えないこともないが、話が本筋から離れすぎるのでここではこれ以上の考察は加えない。

第三章「事例3」
 高校一年生のC子さんは高校入学直前からパニック発作が出現して登校できなくなった。このまま休み続けると留年のおそれも出てきたため、六月上旬に当院を受診したのである。
 診察室では比較的落ち着いて質問に答えてくれた。
「高校は第一志望なので行きたい気持ちは強い。留年はしたくない。でも過呼吸が不安で行けない。このままでは留年することもわかっているが、どうしたらよいのかわからない。父も母も気を遣ってくれているが、話しているとイライラする。二人とも本気で話を聞いてくれているのかわからない。私の言いなりになって機嫌をとっているだけみたいにも思える。登校できるようになるためには頑張らなければいけないとは思うが自信はない。もう限界まで頑張ってきたし・・・。
 母親はずっと私の味方だった。結構口うるさかったのは間違いないがいつでも味方だった。学校で嫌なことがあったら母に話せば解決した。すぐに先生に電話して、ガンガン言ってくれた。毎日のように電話してくれた時もある。学校まで行って校長先生と三時間ぐらい交渉してくれたこともある。友達とうまくいかない時などは『あの子とあの子とは口をきかないように、あの子とは遊ばないように』などと教えてくれたし、直接相手の家に電話してくれたこともある。母親同士で集まることがあっても、嫌いな子の母親とは目もあわせないで完全に無視してくれたし、先生にもよく電話してくれていた。
 訳がわからないのに急に怒ることもよくあるけど、いつも半日もすればケロッとしていたからあまり気にはならないし怒られたという気持ちもなかった。冗談が通じないことは小学校五年生ぐらいからわかっていたし、顔色を見ていたようにも思う。でも母親はいつも私のことを考えていてくれていたから純粋に好きだったし、大体のことは母親の言うとおりにしてきた。
 中学は私立の進学校を受験した。母親が勧めてくれた学校だったが入学したら全然楽しくなかった。イヤでイヤで仕方なかったが頑張って登校した。一日終わって帰宅するとどっと疲れが出た。やめたいとか転校したいと思ったことはない。休むようになってから母親はうるさく言わなくなったので気は楽だった。
 中二以降は最悪だった。教室で話しかけられてもどう答えればいいのかわからなくなった。友達と話していても、『今自分が喋った言葉は間違っていないだろうか?おかしく思われないだろうか?』などと気になるようになった。話しかけられた時などにうまく受け答えができないと『あ、もうこれで嫌われた』と思ってしまって落ち込むようになった。そのうちに話しかけられることが怖くなってきた。
 周りから悪口を言われているような気もしてきて、誰かが自分の方を見ているだけで緊張するようになり、近づいて来られるとゾッとするようになってきた。そして教室にいるだけで怖くてパニクリそうになり、ウォーッて叫んで飛び出したかったけど必死で我慢していた。教室にいることが拷問みたいになってきた。
 小学校の頃から環境に慣れてくると緊張し始めることが多かった。新学期が始まるころは楽で五月頃から調子が悪くなった。修学旅行とか野外学習なども気が重かった。小学校の修学旅行はホームシックで二晩とも大泣きした。中学の修学旅行は欠席した。
 いやなことは母親に訴えれば大体解決していたのに、中学からは母親に訴えても生返事だけで何もしてくれなくなった。小学校の時のように助けてくれないのは想定外で困った。『なんで?』って感じ。真剣に聞いてもらおうと思って何度も話すとこんどは不機嫌になって逆切れされそうになったからそれからは何も言えなくなった。
 父親は『あなたの思うようにやればいいんだよ』と言ってくれて、始めのうちは『そうかそれでいいんだ』と思っていたけど、その言葉通りにやってみもうまく行かなかった。それで『思った通りにやっても駄目なんだけど?』と相談しなおしてみたが、父親は『思った通りにやっていれば大丈夫』と言うばかりだった。自信を持った口調だったから信用していたけど、いくら相談してもうまくいかないから、最後は『相談しても無駄』って感じになって話さなくなった。今は『だまされた』と思っている。適当に扱われた感じ。
 高校は推薦で進んだ。面接の日の朝初めてパニック発作が起きた。『もう疲れ果てているのに面接!』と思ったら無茶苦茶イライラして朝から暴れまくった。それでも合格したが入学式の前日にもパニックになって入学式は欠席した。その後は一日も行っていない。
 今は両親とも大嫌い。家にも居たくないがテレビは見たいし携帯もしたい。学校は行きたいけれど考えるとまた苦しくなるからいや。もう目いっぱい頑張ってきたのにこんなことになってしまって訳がわからないし・・・。毎日死にたいと思っている・・・」。
 本人は本人なりに深刻に悩んでいるのは明らかであり、この点については本当に気の毒といわざるを得ないが、C子さんはあまりにも世間知らずで幼かった。
 小学校のころの母親のモンスターペアレントばりの行動を、「自分のために頑張ってくれている」とピントはずれに受け止めてしまったところからすでに問題は始まっているから、根は深いといえる。子供は一〇歳以前の時期には親の言動に問題があってもそれを合理化して肯定的に受け入れてしまう(正確には捨てられ恐怖に基づく自我を曲げての服従なのだが)ことがあるのだが、C子さんもこのパターンになっていたのだ。
 父親は事なかれ主義で本人の相談にも表面的な形だけの対応になっていた。ここにも問題は含まれている。中学になって相当へこたれている本人に対して形だけの対応だったということは、父親はC子さんの精神衛生と将来に対しての関心が薄かったということになるからだ。
C子さんは、すじとけじめについてほとんど教えてもらわないままで大人の仲間入りをする年齢(一〇歳)に至り、徐々に人間関係に耐えられなくなってきた。それでも本人の努力で何とかストレスを押さえ込んで「頑張り続けて」中学卒業まではたどり着いたが、そこで疲労困憊し限界に至ったということである。
 ここまで問題が整理できれば治療方針を立てるのはそれほど難しくはない。本人の「学校へ行きたい」という希望は明らかだから「様子を見る」という選択はありえない。いくらB子さんが疲れ果てていたとしても、「疲れているから休むことが必要」などという安直な指導は論外である。このまま休んで様子を見れば留年は明らかであり、そうなると中退の確率も高くなり、傷口が更に大きくなりかねないからだ。易々とそこへ進ませてしまっては治療者は無能怠慢の謗りを免れないことになる。
 しかし留年を回避するのも相当に困難である。中学校は三年間一日も登校しなくても卒業させてくれることも珍しくないが(卒業させてくれるというよりは厄介払いされていると筆者は考えている)、高校は出席日数の縛りがあるから現時点でアウトならもう望みはないことになる。このような例が「胃が痛くなりそうな」ケースになる。一日たりとも無駄にせずに進級の可能性を調べ、親子の問題を整理して進級を成し遂げるだけの治療方針を設定し、それを「疲労困憊のC子さん」にやり遂げてもらわなくてはならないからだ。
 話を急ぐが結局C子さんは入院して進級を目指すことになった。入院に当たっての取り決めは以下のようなものになった。
 「欠席可能日数は残り一八日。しかしこれを上回っても二学期以降の状況によっては情状酌量もありうる。最終的には年度末の進級会議で決定する。二学期から休まず登校することが最低限必要。本人は即刻入院し可能であれば一学期中の登校再開を目指す。二学期からは普通に行けるようになることを目指す。入院期間は半年以上の予定。新幹線を利用しても登校には片道二時間半かかるが当面は病棟から登校する」。 
 「状況は厳しいが石にかじりついてでも進級したいのであれば、『決めたことはやり遂げる』『自分の言葉に責任を持つ』『病棟スケジュールの遵守』『感情のコントロール』を最優先課題とする。留年の危機があるので登校を優先するが、治療の本当の目標はたくましく賢いお嬢さんに成長すること」。
 以上の条件を了解した上で六月中旬にC子さんは入院したが、もともと幼い上にイヤはイヤという傾向が強く、すじとけじめも心もとないC子さんにとっては入院生活は相当なストレスであった。
 クリニックの入院治療を筆者らは「学習入院療法」(第五章)と呼んでいる。もともとは重症難治性ぜんそくのための入院療法だが不登校にも応用できるのだ。この治療法はぜんそくや不登校を「早く治す」ことを目的にしている。たとえば小児の重症ぜんそくでは、平均三七日の入院で従来の長期施設入院(一〜三年間)と同等の治療効果が上がり、不登校では入院後平均三一日で72.5%までが登校再開できている(平成二〇年のデータ)。
 学習入院療法の病棟スケジュールは「小学校三年生ならこなせる程度のほどほどに忙しい集団生活」に設定してある。入院生活は見方を変えればこの病棟スケジュールに「拘束される」ということになる。この「拘束」に対しての患者さんの反応を観察することにより、二〜四週間程度で問題点をチェックすることができるのだ。問題点が早く見つかれば治療も速く進められることになる。
 はたしてC子さんは入院して三日目に「退院したい」と言い出した。「こんな入院だとは思っていなかった。ここにいても意味がないと思う。自宅で頑張れるから帰りたい」というのである。
 この発言にもC子さんの幼さが露呈している。高校がピンチという危機的状況下で自宅では頑張れず、病棟見学もして家族とも十分に話し合った上で本人も納得して入院したにも関わらず、「自分の言葉に責任を持つ」ことができないのだ。そしてこの幼さは自宅では許容されていたことになるから、ここにもC子さんの人間形成に対しての両親の無関心さが現れていた。
 帰りたいと訴えるC子さんと話しているうちにまた別の問題が見えてきた。C子さんは抽象的な言葉の意味の理解と自分の考えを言葉で表現することが極めて未熟であった。たとえば入院時の取り決めにある「石にかじりついてでも」という言葉の重みはまったく理解できなかった。さらには「要領がいい」と「手際がいい」、「甘える」と「頼る」、「さぼる」と「手を抜く」などの意味の違いも分からなかったのである。
 C子さんの日本語は表面的な日常会話であればなんら問題はないが、やや込み入った話題とか、深い人間関係を含んだ話題をこなすには相当に未熟であった。これでは同級生と話していて不安になっても当然である。そのうえに自分の言葉に責任が持てないということであれば、成人の基礎の完成期である一〇〜十五歳ごろの人間関係に緊張してもおかしくはない。中学の時に五月頃から調子が悪くなったのも「お互いに親しくなってきて人柄を探りあう」ようになり、「自分の性格(幼さ)を見透かされる」という漠然とした不安に対応できなかったのである。
 幸いなことにC子さんは理性的合理的に話を聞く事はできた。この点と専門的な心理検査(WISC)の結果から発達障害などの遺伝的な問題は否定できた。しかし話を聞いて自分の問題点を改善させることは苦手であった。日本語の理解も心もとないうえに困難な現実に直面した時に状況を整理するだけの「思考回路」のソフトがC子さんの脳には備わっていなかったのだ。更にはやるべき事がはっきりしても特にそれが苦手なことの場合には、やり遂げることは相当に困難だった。中学卒業までの一五年の間、気が向かないことに挑戦して乗り越えた経験がほとんどなかったため「イヤでもやるべきことはやる」という勇気が出ないのである。
 このようなC子さんを傍から見れば、「イヤなことはイヤ」というわがままで甘ったれたお嬢さんに見えるかもしれないが、本人側の立場に立てば事情は違ってくる。
C子さんは、「こうすれば学校(社会)でもしっかりとやって行ける」という行動と判断の基準を教えてもらっていないのに、学校(社会)生活をしっかりとやり遂げることを求められているともいえるのだ。
 教えられてもいないのにうまくやり遂げろといわれても無理な相談であるし、やり方を教えられていないことが出来ないからと言って責められたり落ち込んだりする筋合いもないのだが、C子さんにはそこまでの状況分析能力はなかった。つまりC子さんにとっては、自分でまいた種でもないのに苦しむのは自分で、その上に後始末は自分でつけねばならないという割に合わない話になってしまっているのだから、ある意味気の毒な状況といっても間違いではない。
 C子さんへのカウンセリングは、「今まで頑張ってきたのにまだ頑張らなくてはならないの?」「病棟生活ができれば登校できるなんて信じられない」「病棟の人間関係に疲れるから土日は外泊したい」「勉強が遅れているから、鍛錬の時間に勉強したい」などなど、入院時の取り決めを無視して次々に繰り出される訴えに対して、「どのように考えるのが筋が通っているのか」を考えるという方針になった。それができるようになれば感情のコントロールが可能になり、気分も安定し、その結果として行動も健全な方向へ変わっていくからだ。
 具体的なカウンセリングの内容そのものは単純である。C子さんの訴えをよく聞いて、筋とけじめに沿って「こうすれば間違いなくうまくいく」という常識的な助言をすればよいだけのことなのだ。この部分だけを取り上げればカウンセリングなどというのもおこがましいようなものである。
 ただしこれをやり遂げるには多少の技術は必要になる。C子さんにとっては自身の思考習慣と異なる価値観を押し付けられることでもあるから、押し付けられることに対しての抵抗感によって「解離」などの不安定な状態になることもあるからだ。
 だからあまり強く働きかけるのも禁物なのだが、いかんせんC子さんの場合は時間がなかった。留年をクリアするためには一日も早く登校を再開する必要があったのだ。
 こういう時のカウンセリングは、内容を正確に理解してもらうために録音して聞きなおしてもらうという形で進めていくことにしているが、これは治療する側にとってもかなりストレスフルではある。一言一句にまで神経を使うことになるからだ。これも「胃が痛くなりそう」になる原因の一つである。
 C子さんに「学校に行きたい」という気持ちが強かったことが幸いして、夏休み前に登校再開は可能になった。入院当初は相当に不安定になり、過呼吸やらリストカットやらエスケープなど結構華々しくストレスを症状化していたが、入院して三週間たったころから感情のコントロールのコツが徐々につかめてきたのだ。
 「疲れたー」「ストレスバリバリ」「行かないと退院させてくれないんでしょ!」などと愚痴りながらも「気分に関係なく責任を果たす」を合言葉にC子さんは頑張った。欠席日数はすでに限度をオーバーしてしまったが夏休み前には何とか登校を再開してその後は三学期末まで順調に登校を続け、補習もクリアして二年生への進級が認められたのである。
 何よりも成長したのは「人の話を聞いて考え方を整理して感情をコントロールする」能力が伸びたことだった。後から入院してきた患者さんの親から「あなたみたいなしっかりした子がどうして入院しているの?」といわれるほどにまで成長したのである。薬も睡眠薬だけになった。
 ここまで落ち着けば通院治療に切り替えるのが次のステップになる。C子さんは八ヶ月の入院を終えて春休みに退院となった。
 自宅に戻るにあたっては、日常的な生活指導は両親に引き継いでもらうことになる。前にも述べたように指導の内容そのものは単純なので、ここまで落ち着いたC子さんであれば両親でも十分に対応できると思われ、またそうしてもらわなければ退院できなくなってしまう。母親は拒否と過保護傾向が強いので、退院後の生活指導は父親に担当してもらうことになった。
 以上の「退院後のサポート」について確認した上で退院となり、まずはやれやれのはずであったが、そうはいかなかった。半年後にまた行けなくなったのだ。
ゴールデンウィーク明けから行き辛くなり、二学期になって完全に行けなくなったというのだが、経緯を聞いて筆者は暗鬱となった。父親は退院時の取り決めを何も実行してくれなかったのである。入院中の録音も聞いておらず、本人が学校に緊張を感じ始めた時にも何ら手を打たず、退院早々に通院も中断してしまっていた。
 C子さんは退院して自宅へ戻った時から入院前と同じ生活状態になってしまっていた。そのために入院の効果が徐々に薄らぎ半年後に消滅したのだ。そうであれば自宅に居る限りC子さんの不登校は改善しないことになってしまうので、治療する側としてはあわてることになる。
 父親と話し合ったところ以下のようなやりとりになった。
 「退院後はお父さんがサポート隊の総監督ですよ。計画通りこの方針で行きたいんですが」
 「僕は娘の話をちゃんと聞いてますよ」
 「聞くだけではだめで『感情のコントロール』ですよ。入院中のキーワードだったでしょ?」
 「いや、大丈夫なんですよ。いつも先生そうやって僕のこと怒るけど」
 「怒っているわけではありません、やるべき事をやりましょうと言っているだけです。高校卒業が目標だったと思いますが、今の状況は『大丈夫』とはいえないですよ」
 「この子が落ち込むのは先生が僕を叱るからですよ。悪者を作ってはいけないと以前言われましたし、先生のおっしゃることは矛盾していますよ」
 「それは筋が違います。治療上の取り決めが守られない時は当然注意しますよ。それもしなかったら医者がさじを投げたことになりますが?」
 「どう受け取るか、意見はそれぞれだと思います。先生と僕は立場は対等でしょ」
 「そりゃ一個の人間としてはもちろん対等ですが、治療する側と治療を受ける側という場面では立場は同じとは言えないと思いますが?」
 「僕は医者と患者は対等だと思います。先生の言っていることが正しいと言える保証はあるんですか?」
 一瞬の間を置いて、こちらが切れる前にC子さんが叫んだ。
 「お父さんなに言ってるのよ! 恥ずかしいって思わないの?」  
 娘にピシリといわれても動じる気配も見せずに彼は同じ言葉を繰り返した。
 「先生が僕のことを叱るから娘が怒るんです、そこは配慮してもらわないと・・・」  
 こうなると堂々巡りである。父親の娘に対する無関心さは基本的には修正されていなかったのだ。
 結局C子さんは本人希望で再入院した。気持ちが落ち着いて再入院六日後から登校再開した。「先生行っていいでしょ?」と当然のように颯爽と登校する姿を見てたくましさは相当に成長していたことが伺われた。それは見方を変えれば家庭の指導力の問題を示していた。
 入院すればたやすく登校できてしまうということは、本人に登校する力は備わっているが、自宅ではその力を発揮させられないということになるからである。
 二回目の入院の課題も「感情のコントロール」で意見は一致した。「親も人間だから欠点があるのは当たり前。それに振り回されずに自分がやるべき事をやり遂げるようにしよう」という方向に感情をコントロールする方針にしたのである。親よりも大人になってきたC子さんは見ていても爽やかだった。






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